講演・研修会

言葉は「言薬」になる-東大阪からいのちの対話を広げよう(死の臨床研究会年次大会を終えて)

去る2月3日、日本死の臨床研究会・第31回近畿支部年次大会は「豊かに生ききる」をテーマに開催し、盛況のうちじ終了しました。

川邉正和先生とともに大会長の役目をいただいた山本直美が、この日に感じたことを記しておきたいと思います。

笑いあり、涙あり、最後は皆様の笑顔に包まれた幸せな一日でした。運営サポートしてくれた東大阪プロジェクトのメンバーのチームワーク、同じ目的・目標に向かう事での一体感に感無量の思いです。

参加された皆さま、中川先生・大坂先生そして東大阪プロジェクトのメンバーありがとうございました。

死とは終わりではない

人間にとって、生きることも死ぬことも、生まれた瞬間からあたりまえなことで、だからこそ普段意識をしないのではないでしょうか?

心も体も元気な時にはあたりまえなことかもしれませんが、自分や大切な人が病気になった時に「死=終わり」ではなく「死=豊かに生ききる」であってほしい。そのために、毎日考える必要はないですが、元気なうちから、もしもの話、ACPができ、どう生きたいのか、自分らしく生ききることを考えることが当たり前な世の中になってほしいと思い、活動しています。

私の看護師としての選択

私はもともと、熱い思いで看護師になったわけではありません。高校で進路を決めるとき、人のために手に職つけて一生働けるということ、大阪ならどこにでもライブに行きやすいという安易な気持ちで大阪の看護学校を選びました。

しかしパブリックナラティブを学び自分を見つめ直したとき、私の看護の原点は、小学校低学年のころの記憶、祖父のがんの闘病だったのです。何年もの入院生活、気管切開を行い、最期は人工呼吸器に繋がれていました。その鮮明な記憶の中で誰かのためになる看護師という仕事を選んだのだと、今は思います。

そして看護師になってからは、患者さんや職場のスタッフとの出会いが私の看護師人生を少しづつ変えていきました。10年前に2人の看護師に出会ったことで緩和ケア認定看護師になり、認定看護師になったことで視野も仲間も考え方も広がりました。

最期まで自分らしく生ききるのは簡単ではなかった

終末期の患者さんと関わる中で、患者自身が闘病中に自分らしく生ききるための選択ができない世の中であることを実感しました。病院の機能のなかでそれぞれの病院には役割があると言います。チーム医療推進、地域包括ケアシステムと言う割には、それらは本当に機能しているのでしょうか? 私は地域に対して何かできていることがあるのだろうか? そう感じたとき東大阪プロジェクトのメンバーと出会いました。それ以来、自分自身が病院という狭い環境にいるだけではいけない、もっと視野を広げることで患者さんを地域で支えることになると感じて活動し続けています。

まさに東大阪プロジェクトのクレド「出会うことで人は動き出しともに未来を変える」出会いが私を変えたと実感しています。もし大阪に来ていなければ皆さんに会うこともなかったかと思うと、大阪に来るきっかけとなったロックバンドも私の原点かもしれません(笑)

私自身がケアしてもらいたい私になれているか

自分自身、ケアしてもらいたい人になれているかを常に考え、地域の皆様が豊かに生ききる選択ができ、自分らしく豊かに生ききる地域つくりしていきたいと思っています。

今回ご参加いただいた皆様も、中川先生、大坂先生たちと出会ったことで心の何かが動き出したのではないでしょうか?

私自身、自分の価値観を患者に押し付けがちになったり、良かれと思ってかけた言葉が相手を傷つける毒薬になっていたりしたこともありました。自分と相手の価値観は違うことを知り、相手の価値観や相手自身を知ることで関わり方は変わります。

「そだねー」と、相手の価値観や思いは一旦受け入れることにします。自分が患者の立場になった時ケアしてもらいたい人に自分がなれているのか?を自分に問いかけます。自分の言葉が相手のとっての薬になるのか?言葉はくすりになる「言薬」。今回もたくさん学ぶ事ができました。

「ありがとう」と「さようなら」。このたった5文字の言葉を言える人生でありたい。

そして大切な人を送るとき、自分が逝くとき「ありがとう」「さようなら」を伝えたい。

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