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エッセイ(最終回)・「おかえり」—東大阪プロジェクトがくれた温かさ 塚本雅子さん

「おかえり」—東大阪プロジェクトがくれた温かさ

私の居場所

東大阪プロジェクトの川邉先生にお声掛け頂き、ワクワク・ドキドキしました。
仕事の休みを取ってもお手伝いしたいと思い、手を上げました。

死の臨床研究会」というネーミングは重いけれど、
ナラティブ」の中川先生、「言薬」の大坂先生のお話ももう一度聞きたいと思っていたので、
楽しみだなと、子供が遠足を楽しみにしているような軽い感覚でした。

その後に私にとっての一大事件が起きました。

母の入院

自院の診療中に妹から電話があり、一人暮らしの母が倒れて動けなくなっていると。
意識はしっかりしているが、背中が痛くて動けず、
どうやら、昨夜からそのままの状態だった様子と。

いつもレスパイト入院をお願いしている病院に連絡し、救急搬送(妹同乗)、
レントゲン上腰椎の一部が欠けており、そのまま入院となりました。

手続きをして、入院に必要なものを妹と手分けして運び、
自院に帰ってから紹介状を記入し、以前に依頼していたにもかかわらず、
母が勝手に断っていたケアマネさんにもう一度連絡し、
介護申請の依頼をし、気が付くと、面会時間はとうに過ぎており、
母に充分な声掛けもしてあげられなかったと後悔。
(コロナ・インフルの流行もあり、面会制限が厳しかった)

でもここからの方が大変でした。

 

母の尊厳を守る・意思確認

今までセミナーや学習会でインプットしてきた知識を
家族の為にアウトプットすると意気込んでいましたがもろくも打ち砕かれました。

母は(1) 難聴; (2) 糖尿病; (3) 関節リウマチがあり、
何よりも料理を作るのが大好きでそれを家族に食べさせることを生きがいにしていたのです。

母は大声で痛みを訴え、ベッド上の排泄を嫌がり、便秘となってしまいました。
おむつでかぶれて、びらん形成し、
部屋に行った時、グローブを頂いて摘便したこともありました。

母の耳元で
お願いだから、私の顔を立てると思ってもう少し看護師さんの言うことを聞いて!
と言ってしまい、自分の言葉に驚いてしまいました。

そこからあきらめたように大人しくなりました。
母の思いも充分に聞かず、押し付けるような言い方をしてしまって、
もやもやとしたものが残りました。

母は皆様のサポートのおかげで少しずつ動けるようになり、
ヘルパーさんの介助で買物に行って、
料理を作ってはご馳走をしてくれるようになりました。

でも私の心の中にはまだもやもやが残っています。

「死の臨床研究会」で役割を頂いて

メールで資料配布と受付の役割分担表が送られてきました。
来ても良いよという招待状に思えました。

当日遅れた私にも皆さんが笑顔で迎えて下さって、

「お帰りなさい」

「ここにいても良いんだよ」

「皆で盛り上げようね」

「楽しもうね」

「何か手伝おうか」

と聞こえてきそうな雰囲気の中、感動で涙が出そうになりました。
初めてお会いする方もいるのに初めてとは思えない馴染み方です。

基調講演のお話や、お昼ご飯の牛丼や、受付でのお話や、
綾香さんに頂いたプレゼント等々、本当に涙が出てしまいました。

そして気が付くと帰りの車の中では、心の中のもやもやが消えていました。

これが東大阪プロジェクト効果、マインドフルネス、焚き火の効能なんだなと実感しました。

皆様、感謝です!ありがとうございました。

 

医師 塚本雅子先生

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