講演・研修会

東大阪プロジェクト・自称広報担当ざちょうの想い

7月に幕張メッセで行われた日本在宅医療連合学会大会で東大阪プロジェクトに関するシンポジウムを行いました。
4組の演者の想いをつなぎ、1つのシンポジウムに仕上げてくれたファシリテーター役の蒲原雄介さんからのレポートをお届けします。

さすが川邉先生アクティブだな!え、ざちょう?ぼくが?

みなさん、はじめまして。蒲原雄介と申します。普段はライターをしていて、住まいは東京です。日本医療デザインセンターの理事としても活動しており、そこで、かわべクリニックそして東大阪プロジェクトとご縁をいただくようになりました。

はじめまして、と申し上げましたが、実はみなさんの多くは、私の書いた文章をたくさん読んでくださっています。「書いた」というとやや語弊がありますが、かわべクリニックと東大阪プロジェクトに掲載されているブログを編集しております。簡単にいうと、川邉編集長から「こんなイベントがあったから記事にして」と原稿をいただき、よしなに加筆する仕事です。

したがって普段は、パソコンの前に座って文章ばかり書いているのですが、ある日川邉先生から「日本在宅医療学会でシンポジウムをやりたいから、力を貸してもらえないか」と頼まれました。

さすが川邉先生、いつもながら次々に講演会へ登壇されアグレッシブ過ぎます。日本にある多くの学会のほどんどは「私たちはこんな研究や活動を行ってきました。こんな内容の発表ができるので、ぜひ機会を与えてさせてほしい」とエントリーする仕組みになっています。依頼を受けた私は、代わりに発表内容の作文を始めました。

川邉先生に見せると「作成ありがとう、蒲原さん! でも蒲原さんの名前が抜けてるで。座長を頼みたいんや」

ざちょう? 人前に立つのは抵抗はないものの、座長が何をするかもよく分からないまま、出番が決まりました。

実際に登壇いただいた、ここなの田中竜一さんと、つながる訪問看護ステーションの加藤裕子さんは、事務局側のスペースの都合で、公式には氏名を掲載できませんでした。(後述)

関心を惹きつける演題を考える

準備は、演者のみなさまに登壇をお願いする前にさかのぼります。応募したからといって、必ずしもOKが出るわけではありません。あとから事務局にお聞きした話では、例年以上に演題の応募が多かったために枠を増やして対応したそうです。そんな激しい競争を勝ち残って選ばれたのだから立派な成果ですね。

先に川邉正和先生、川邉綾香さん、そして日本医療デザインセンターの代表・桑畑さんと蒲原の4人で打ち合わせをしました。学会で講演をする目的を1つに絞るならば、東大阪プロジェクトの魅力を発信し、共感してくれる仲間をつくること、増やしていくことです。

「全国各地で地域包括ケアシステムの大切さ、顔の見える関係が大事だと言っているにもかかわらず、20年が経過しても同じことを言っている。現代社会で水道・電気を普及させよという人はいないのはもう当たり前に普及しているから。でも地域包括ケアシステムという言葉があること自体、当たり前になっていない証拠。ならば、当たり前のものにして、言葉をなくしてしまおう」

この1年ぐらい、よくお二人からお聞きしていたこんな言葉をヒントに、最初に思いついたのは「脱」地域包括ケアでした。

しかし「脱」ではやや敵対的、否定的なニュアンスを含んでいるととられる可能性を考えました。刺激のあるタイトルのほうが、人々の心には残るかもしれません。しかし、残るものがトゲだとしたら「仲間を増やしたい」本来のねらいに反してしまったでしょう。むしろ、「あいつら生意気だ」「邪魔してやれ」と思われてしまったら、わざわざ幕張メッセで講演をすることが逆効果になってしまいます。

脱じゃない「超」地域包括ケアだ!

「脱」の代わりに思いついたフレーズが、「超」でした。超人、超越、超サイヤ人…と、超には上位互換の意味合いはありますが、マウントをとっていると思われたり、優劣を強調していると曲解されたりするリスクは少ないように思いました。

「いま私たちも実践中・挑戦中である」ことを強調したくて作戦をつけることにし、こうして超・地域包括ケアシステム作戦という言葉が生まれました。

そして、もうひとつのキーワードが「あなたのまちを最期に住みたいまちに変える」です。言うまでもなく、逆説的に、多くのまちが「最期まで安心して住める状況ではない」または「住みたいと思えない」現状を指しています。そして「あなたのまち」を「変える」という言葉を据えることで、ひとりの参加者が能動的に受講してくれる姿をイメージしました。

一見、長ったらしくて、奇をてらっただけに見えたかもしれません。しかし印象に残しつつも、人を怒らせたり傷つけたりしないように、それはもういろんな思惑が込められていたのです。

2回のオンライン会議でプログラムの内容を一気に詰める

プログラムの採択が決まったのは、3月8日。それまで、登壇されるみなさんには「採択されたら、よろしくお願いします」と条件付きでお願いしていましたが、ようやく正式に動き出せることになりました。

4月、そして6月と、全員集合のもとオンラインで打ち合わせを重ねました。90分の持ち時間をどう使えば、効果を最大化できるかを、素人ざちょうなりに一生懸命考えます。

素案として、4組の自己紹介をかねた発表を10~12分程度行って、90分の約半分。そして残りの半分を、フリーディスカッションとして、トークのテーマを決めて順々に発言いだたく方式を考えました。もちろんフロア(受講者)からの質問も歓迎します。

本番で使用したフリーディスカッション用の質問集。演者の魅力や工夫が引き出せるような質問を逆算しました。

演者のみなさんには、それぞれのスライドを作成いただき、フリーディスカッションで予定している質問のみ事前に共有しておきました。

残念というか、申し訳ない思いだったのは、学会の申し込みフォームの制約で4名のお名前しか掲載できなかったことです。4施設からの発表という建付けではありましたが、今後の機会があれば、もうちょっと上手にきちんと交渉したいと思います。公式プログラムをご覧になって不思議に思われた方もいるかと思いますが、こんな事情があったのです。

集客のための宣伝活動

そして当日に向かっては、多くの関係者が(嫌というほど)目にしたであろう、独自のフライヤーを作成しました。

当日の会場にほとんど人が集まらなければ、伝える相手が少ないということなので、どれほど中身に工夫をこらしても効果は限られてしまいます。

そこで日本医療デザインセンター、桑畑さんの力を借りてオリジナルのフライヤーを作ることになったのです。

「残り20日」からほぼ毎日、言葉と写真を変えてカウントダウンを実施。

幕張メッセの会場でもチラシ配布コーナーに設置して、最後まで集客に努めました。

120席が満席となって立ち見の方も出たので、集客の結果としては成果があったのではないかと思います。

広報担当ざちょうの手ごたえ

ライターになる前の仕事では、人前で話すことも多かったので緊張はしなかったのですが、演者のみなさまに恥をかかせたり、受講者に失礼があったりしてはいけないなと当日を迎えました。

唯一あせったのはフリーディスカッションの冒頭です。作成しておいた問いかけのうち「どの質問が聞きたいか、拍手で答えてください」と聴衆に呼びかけたものの、最初の2~3問は拍手がまばらだったこと。でも、受講した方々が聞きたいと思ってくれる質問を読み上げると、大きな拍手が上がりましたので、単純に読み上げた順番が悪かったのですね(苦笑)

おかげさまで進行自体はスムーズだったとお褒めいただいたので、ようやく肩の荷が下りたかなと思っているところです。

ところが…川邉先生からは、また「継続的に頼むね」と。えっ、と驚いたのですが、これまではこの手の進行役は、医療職ではない福村雄一先生が担当していたとのこと。今後、東大阪プロジェクトの活動が広がるにつれて、こうした医療職以外の人ならではの視点が大事なのだと説明を受け「なるほどな」と思いました。

素人だから、新鮮な目線で問題提起できることがあるかもしれません。医療者でなく、市民に近いからこそ、患者や利用者、その家族の気持ちを想像しやすいケースもあるでしょう。

東大阪プロジェクトは、多くの人が関わるから難しいなと感じていましたが、だからこそ「多様な目と声」が発展のカギを握るのかもしれません。

わたしも、わたし自身や親、友人が最期まで暮らせるまちのことを、考えながら、これからも東大阪プロジェクトの魅力、ポテンシャルを内外に発信していきたいと思います。

このたびは貴重な機会をいただき、ありがとうございました! 今後ともよろしくお願いいたします。

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