2026年10月7日(水)、清涼山光教寺(東大阪市荒本)にて、第50回 縁起でもない話をしよう会@東大阪を開催しました。

50回目の話題提供者としてお迎えしたのは、浄土真宗本願寺派 妙行寺(鹿児島市)の井上従昭住職です。
この「縁起でもない話をしよう会」は、2018年に妙行寺で誕生しました。東大阪での初開催はその翌年、2019年7月でした。北御堂(津村別院)で第1回を開き、そのときは鹿児島からお越しいただいた平野慎一郎さんに話題提供をお願いしています。実はこの第1回に井上住職も同行されていて、グループトークでは、綾香さんと同じテーブルとなるご縁があったんです。
あのとき同じ輪で話していた方が、7年の時を経て、記念すべき50回目の話題提供者として再び東大阪に来てくださるなんて、これほどうれしい巡り合わせはありません。
話のできる「場」が必要だった
井上住職がまず語ったのは、会が生まれたきっかけについて。
お寺がある鹿児島市の谷山は、総合病院も夜間の病院もそろった、医療・福祉の充実した地域です。それでも、お寺のサロンに薬剤師さんを招いたある日のこと、地元のおばあさんたちは30分たっても一人目の薬剤師さんを離さず、最後には携帯番号まで聞いていたのだそうです。
薬剤師さんと話したいのなら、薬局のほうがいいのではありませんかと尋ねると、「忙しそうだから話せない」「同じことを2回聞いたら怒られる」という答えが返ってきたそうです。
別の講演会で、医師が心臓についての話をした後には、おばあさんが住職に「さっきの症状、私にぴったりなんだけど、どうしたらいい?」と相談したのだそうです。目の前には、心臓に詳しいお医者さんがいるのだから聞けばいいのに、「聞いていいんかね」と躊躇するんですね。そこで住職が連れ立って医師の前に行くと、すぐに検査を勧められたといいます。
医療や福祉の手が届いていないのではなく、届いているのに、高齢の方々の遠慮で届ききっていない。一方で、知り合いの専門職からは「僕たちも地域の声を聞けていない、アウトリーチができていない」という声も聞きました。言えずに遠慮する側と、知らなければいけないのに知らない側。その双方のもどかしさが出会う交差点、サードプレイスとして、お寺に「場」をつくることにしたのだそうです。
>>お話を通しで聞きたい方はこちらのYouTubeからどうぞ
最初の名前は「地域見守りシンポジウム」でした。最後に高齢者施設の職員さんが「みんなで『助けて』と言う練習をしましょう」と呼びかけ、会場は笑いに包まれたそうです。そのとき90歳を超えていた女性はこう言いました。
「あの人の笑顔を見て安心した。何かあったらあそこに行けばいい。すぐどうにかなるわけじゃないのは分かっている。でも、顔が浮かぶ人のところにつながっただけで安心した」と言い残して帰宅されたのだそうです。これはつながないといけないという思いが、この会の出発点になったと話されました。
住職は、医療介護が必要となってからではなく、平時からフラットにつながれる場が必要だった、ACPや終活に取り組むハードルを下げることも開催のねらいとして説明に加えていました。
「死を隠そうとするのは、病院だけですか」
次に井上住職が持ち続けている問いが紹介されました。20年以上前、終末期医療に関わる市民の学びの場で、住職は「答えられない問いに向き合う」というシンポジウムの座長を務められました。登壇した患者さんが「病院は、死ぬことを語れない場なんだよね」と話したので、若い呼吸器内科の医師に意見を振ると、医師はその通りですと認めたうえで、こう返したそうです。
「でも、死を隠そうとするのは、病院だけでしょうか」
住職はドキッとしたといいます。病院を何とかしなければいけない、と思っていたら、あなたもでしょう、お寺もでしょう、と言われた気がした。死も含めて、縁起でもない話ができる地域をつくることが自分たちの役割なのではないか。そう考えたのだそうです。
重たいテーマは、暗い場ではない
「縁起でもない」という名前を付けるには、僧侶としてためらいもあったそうです。各地で同じ名前の会が生まれ、名前を使ってもいいかと聞かれることもあるけれど、「登録商標はしていないので、どうぞ」と返す井上住職。会場では笑いが起こりました。
鹿児島の第3回(2018年11月)では、脳神経内科医が話題提供をしました。人生の最終段階に点滴をするか、自然に任せるか、鼻から栄養を入れるか。あなたならどうするか、親ならどうするかと問われ、ほとんどの方が「自然に」と答えました。そこで住職が、せっかく縁起でもない話をする会なのだからと、もう一つ問いを加えます。「あなたのお子さんだったら、どうしますか」。会場は「そんなこと聞く?」という空気になり、実際に「自然に任せる」意見は減って、「できるならば延命したい」という答えが出てきたそうです。
誰の死なのかで、答えは変わるなんて、それだけでとても特殊で重たい場であることは間違いありません。ところが、そのときの写真に写っている参加者は、みんな笑って、穏やかな顔をしていました。
避けたいとされる話は、本当はずっと語りたかった話で、そして人がどう思っているのか聞きたかった話でもある。医療者と一般の方とでは知識も違うので、意見が違うのは当たり前。だから「あなたは間違っている」ではなく「そうなんですね」と聞き合う。それがこの会のグランドルールで、聞いてもらえている、受け止めてもらえているという穏やかさが生まれると住職は話してくれました。

死のタブーへ減りつつあるが我がこととなると…
2018年当時は、ACPという言葉もまだあまり聞かず、死や終末期について口にすること自体にまだまだ強いタブーがありました。今はデスカフェやデスフェスのような場も増え、コロナ禍を経て、死を語ることへの抵抗はずいぶん小さくなっています。
妙行寺では、志學館大学の吉川直人先生と学生さんたちによるデスカフェも開かれました。「迷惑はかけたくないから、自分が亡くなったらという話はしない」と言ったおばあちゃんに、20代の学生さんが「話してください。私は聞きたいです」と返した。おばあちゃんがはっとした顔をされたのが印象的だったそうです。
コロナ禍中には、鹿児島県看護協会のオンラインミーティングで、コロナ病棟の看護師長さんたちと話をしたこともあるそうです。お別れの儀式もできない中、亡くなる患者さんに何をしてあげればいいのかと悩む看護師さんたちの声を聞いて、住職は申し訳なさを感じたといいます。何もかも医療の現場に押しつけてしまっている。だから「いつものように大切な気持ちでお送りください。その先は、それを担当する者の責任です」と伝え、職種を超えてバトンをつなぐ必要を強く感じたのだそうです。
一方で、死を語ることがカルチャーとなりつつあっても、対象が自分や家族のこととなると、途端に口が重くなります。客観的な死は語れても、「我がこと」としての死はまだこれから。だからこそ、イベントの盛り上がりで終わらせずに、日常的に語り続ける場をつくることに意味があると井上住職は考えています。
対話の場を支える3つの仕掛け
最後に場を成り立たせる仕掛けとして、住職は3つを挙げられました。
- 専門職が肩書きを少し外し、一人の人間として語る=「仮面を脱ぐ」
- 正解を求めず、否定せず、教え込まない=「解決を急がない」
- そして「余白を残す」
妙行寺のファシリテーターは、参加者に「モヤモヤして帰ってね」と声をかけるそうです。頭がすっきりするのではなく、こんな考えもあるんだ、という余白を持ち帰ってもらう。
最近の鹿児島の会は夜の開催で、参加者には専門職が多く、そこからお互いのつながりが生まれているそうです。話題提供者もさまざまで、医師が12回と最も多く、看護師、薬剤師、葬儀関係者、弁護士、司法書士、遺品整理士、高校の演劇部まで並んでいました。
「自分から何かをしたのではなく、場があったら、人をつないでいってくれる」
この会は東大阪、北九州、九重、福岡、柏原、そして今年7月には広島へと広がりました。名前は「縁起でもない話」でなくてもいい、語る場が生まれてくればいい、というのが住職の願いです。これからは、対話の場から「お互いさま」の地域へ、ゆるやかなネットワークへ、そして次の世代へ。そんな展望でお話を締めくくられました。
「聞ける先生」がそこにいたとしても
井上先生の話で、医師である私にとって最も耳が痛かったのは、心臓の話のエピソードです。目の前に医師がいるのに、おばあさんは住職に相談していました。私たちは「何でも聞いてくださいね」と言っているつもりでも、言われた側にとっては、それだけで聞ける相手にはなりません。そんな一方通行の事実を改めて突きつけられた気がします。
かわべクリニックの「看取りの報告書」の中で何度か書いています。「この患者さんは、最期を病院でと希望されています」と申し送りを受けても、ご自宅で丁寧に話を伺うと、違う気持ちが出てくることは少なくありません。最期を過ごしたい場所と、実際に最期を迎える場所がずれていることはデータでも知られていますが、その間には、たぶん「遠慮」が挟まっています。遠慮することは、責められることではありませんが、遠慮から解き放たれるには、診察室ではない別の場所が必要なのではないでしょうか。
東大阪プロジェクトが50回と続けてきた「縁起でもない話をしよう会」も、その場づくりだったのだと、住職のお話で言葉にしてもらえた気がします。
参加者の皆様の声
今回も、さまざまな感想・意見を寄せていただきました。
<感想>
・「余白を残す」=結論をださなくていいゆるやかな空気感。もやもやして帰っていい!ということに大共感しました。(40代・3〜5回目)
・お寺、僧侶がお話されるというサードプレイスが心地良いと思った。(60代・初参加)
・宗教はタブーであったが、そうでもない。自分の中にもある。最期の時にお世話になるものでもなく、普段から身近なものなのかもと感じた。(50代・6〜10回目)
・仕事で利用者に終末期について聞いたり、考えたりするが、自分の親とは難しくて、話ができない。(50代・初参加)
・子供に胃ろうをするかどうかの選択は相当難しい(50代・初参加)
・特に男性方は女性に比べるとあまり真剣に考えたことはない様子でした。おそらくご本人なりに真剣に考えていらっしゃったんだと思いますが、違う見方の意見を聞いて驚いたご様子だったのが印象的でした。(60代・2回目)
・若い人がけっこう来ていることに驚いた。(60代・初参加)
・皆さん、いっぱい話したいことがあると感じた(60代・3〜5回目)
・顔の見える連携は必須である(50代・初参加)
・縁起でもないと感じている話題こそ、話し合う場があることが大切であると感じた。(60代・11回以上)
一方で、こんな声もいただいています。
・知り合う人の職種が狭いと感じた。割合として福祉職が多いのはわかるが広がりが作りにくい。(60代・初参加)
・周りの声で聞こえにくかった。もう少し静かな空間だとよい。(50代・初参加)
・時間が足りなかった(複数)
「自分の親とは話ができない」という声が、仕事で終末期の話を聞いている方から出てきたのは、まさに住職の言う「我がこと」の難しさだと思います。
これからの東大阪
50回を振り返ると、オンラインで開催した時期も、参加者が少なくなった回もありました。それでも続けてこられたのは、毎回話題提供を引き受けてくださった皆さんと、足を運んでくださった皆さんのおかげです。会場を快く貸してくださった光教寺の神舘住職、司会の田中さん、そして遠く鹿児島から来てくださった井上住職に、心から感謝いたします。
この会が目指すのは「縁起でもない話」が特別なイベントでなくなることです。その姿を目指して、東大阪で語る場を続けていきます。